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2005年10月16日

アイン・ランド代表作の邦訳刊行が象徴すること

 アメリカでは、すでに60年にわたって大きな影響力を持ち続けているアイン・ランドの作品も、日本では、最近までまったくと言ってよいほど注目されず、翻訳さえされてきませんでした。その代表作が長大で、また高度に知的であるため、読解自体が困難だったことも、その原因の1つでしょう(※1)。しかし最大の原因は、個人の能力と自立を厳しく要求するその思想が、これまでの日本の精神風土では、受け入れられ得なかったことにあると考えられます(※2)。

 しかしついに、2004年、この日本でも、ランドの代表作である『The Fountainhead(水源)』と『Atlas Shrugged(肩をすくめるアトラス)』が、相次いで翻訳され出版されました。

 この国で半世紀以上にわたり、言葉の壁の向こうに放置され、顧みられることもなかった思想家に、この21世紀初頭、ようやく邦訳出版という形で光が当てられたのには、何らかの歴史的な必然性があったと見ることができます。

 高岡英夫は、1995年の著書『意識のかたち―現代に甦る天才の秘密』で、明治維新以降退化の一途を辿ってきた日本人の本質的能力が、西暦2000年前後に最下点に達し、21世紀初頭には上昇への道を歩み出すと予言し(※3)、イチロー、武豊、羽生善治などの天才たちの登場を、その前兆として示唆しました(※4)。

 私は、後世、国民全体の本質的能力の水準いかんという観点から、日本の歴史を100年単位で振り返ったとき、2004年におけるランド代表作の邦訳刊行は、1990年前後におけるイチロー、武豊、羽生善治などの天才たちの登場に、勝るとも劣らぬ象徴性を持つ出来事として、位置づけられると信じています。

 すでに個人レベルでの本質力向上に目覚め始めた日本人は、向上した自己の本質力にふさわしい社会観、倫理観、人生観を、求めずにはいられなくなるでしょう(※5)。ランドの作品は、こうした強い個人にふさわしい社会観、倫理観、人生観を求める日本人の要求に応えるべく、邦訳刊行されたと見なすことができます。

 高岡が予言したように退化の歴史を終え、進化の歴史を歩み始めた日本人は、ランドが思い描いた理想を、ランドの思想を重要な指針の一つとしながら、わずかずつでも体現していくことと、私は期待しています。



※1 評論家の副島隆彦氏は、ランドを日本で初めて一般読者向けに紹介した著書、『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』で、日本でランドが論じられてこなかった理由について、次のように述べています。
《彼女〔ランド〕の小説で最もアメリカ国民に親しまれているのは、『ファウンテンヘッド』であり、今でも、アメリカの多少とも知的な大学生であれば、この本は必読書である。どうして、未だに日本の知識人で誰ひとりとしてアイン・ランドを論じるものがいないのか、不思議である。要するに英語力がないのだろう。》(副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』1999年、講談社α文庫、p.294、原著は『現代アメリカ政治思想の大研究―「世界覇権国」を動かす政治家と知識人たち』1995年、筑摩書房)

※2 『水源』翻訳者の藤森かよこ氏は、ランドが受容されずにきた日本の精神風土について、次のように考察しています。
《敗戦後の日本の知識人のメイン・ストリームは、岩波書店に代表される「文化左翼」もしくは「心情文化左翼」だった。読書を習慣とする高学歴の日本人は,その戦後の知的風土に育まれて,多かれ少なかれ,社会主義国家への肯定的な幻想と反米/嫌米/反資本主義的心情をつちかって来た。その心情左翼風土は、1990年代初期あたりまでは濃厚であった。冷戦終結後、ソ連や中国などの共産圏に対する美化、ロマン化傾向は小さくなったが、左翼的心情は依然としてアカデミズムの中に色濃く残っている。こうした従来の知的風土において、ランドの小説や思想は、アメリカの極右的言説として、読まれる価値のないものとして処理されたのだろう。

 冷戦期の国民作家らしく、名門士官学校ウェストポイントの卒業式祝辞を依頼されたこともあるランドには、保守、右翼、タカ派というイメージがつきまとってきた。日本人には,ランドはあまりにも政治的な作家であったのだ。

 また、ランドの思想は、戦後日本の知的風土ともあいいれないと同時に,日本人の伝統的精神風土ともあいいれない。日本の政治/経済体制が,資本主義の顔をした社会主義/共産主義であることは、多くの研究者によって指摘されてきた。と同時に、日本にモダニズムが根づいていないこと、国民に真の近代的精神が内面化されてきていないことも、よく指摘されてきた。『水源』の主人公ハワード・ロークやドミニクや、ロークの周りに集まる男たちの関係と、彼らや彼女が生きる姿勢は、ふやけた共依存と曖昧な自己韜晦(じことうかい)を愛と呼び、助けあいと呼び、優しさとか癒しと呼ぶ日本人には、清冽(せいれつ)で苛烈に過ぎる。

 また、「自らが自らの力で為すこと=仕事を通してしか人間は、人間としての生を充填できないし、そこにしか尊厳がない」という徹底した現実的な有能さによって自らの価値を判断するプラグマティックな資本主義的精神の潔さというものは、日本人には「冷たく」「計算高く」思えてしまうのだ。これほどに世界と他者に優しい行為、心的態度もありえないのに。

 アメリカの草の根の国民の倫理と美意識(=人間はいかに生きるべきか)の形成と維持に大きく関与してきた小説を書き、60年代に「客観主義運動」(Objectivism Movement)という一大ブーム(公民権運動ばかりがアメリカの60年代ではない)の中心となったアメリカ国民作家、大衆思想家アイン・ランドを知らないできたこと、読まなかったことは,日本人のアメリカ理解に大きな空白を残して来た。アメリカの高校生や大学生は、ランドの小説を通過して社会に挑んでいく。彼女の小説を通過した人間たちに、負け犬の遠吠え的哀愁に満ちたブンガクや世界の中心でウロウロと過去にこだわるようなひ弱な物語しか通過していない人間が、太刀打ちできるはずがないのだ。》(ウェブサイト「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」>「論文」>「アイン・ランド『水源』----もうひとつの訳者あとがき」>「日本人にとってのアイン・ランド」、2004年)

※3 《実は筆者は、日本人のディレクト・システムの退化の歴史が、西暦二〇〇〇年前後に極、つまり最下点を迎えると、考えているのである。百数十年続いた退化の振り子が振り切れ、二十一世紀初頭には“進化”の振り戻しの時代が来ると、予測しているのである。》(高岡英夫『意識のかたち―現代に甦る天才の秘密』1995年、講談社、p.249)

※4 《U「江戸時代か……環境問題・資源問題という観点で見ると、江戸時代というのは極めて素晴らしい社会だったそうだな。自然に調和し、自然的な生産力を最大限に活かす、例えばリサイクルのシステムなどは、大変に見事なものだったらしい。」
M「世界的に見ても最大級の都市であったにもかかわらず、江戸というのはゴミ一つない、世界で最も美しく、清潔な都市だった。同じ時代のロンドン、パリなど、今日からは想像出来ないほど、ゴミと汚物にまみれた不衛生な都市だった。ヨーロッパ社会の疫病の流行はこうした都市環境にも、大いに関係しているわけだ。
 この点だけを取り上げてみても、江戸時代が余程優れた人々の能力で支えられていたことは、想像に難くないな。」
A「環境・資源・衛生問題と文化・学術と個人の身体運動能力とが、見事な調和をなしていたのではないかな。例えば歌舞伎の美しさや浮世絵の芸術性は、ゴミと汚物にまみれた街を平気で歩くような個人を成員とする社会からは、生まれ得なかったのではないかな。」
K「今の話を聞いていて、何かディレクト・システムというのが、個人だけでなく、社会全体にわたる、その在り様を規定する、根本的システムの一つとして、見えて来たな。」
A「極めて感覚的な発言なのだが……、ジンブレイドというのは、ある種の美意識のようなものでもあるのじゃないのか。」
M「そう、イチローの持っている何とも説明し難い“あの感じ”と、紙と木と水と土で構成された、環境に優しく、資源を大切にし、衛生的にも美しい社会の“感じ”というのが、すごく共通しているように思うんだな。」
U「それは“端然たる美”という感じか……。」
M「そう、端然、颯爽、優美、親和、静穏、精微……そして透明、純朴、という感じかな。」
A「実に、素晴らしいネ。」
U「何かが、見えてきた気がする……。」
K「ジンブレイドが個人の運動能力だけでなく、社会の美意識にまで達するものだとすると、前に雑誌で読んだスキーのステンマルクの事を思い出すな。」
U「どういう事だい?」
K「彼はチームの中で誰よりも早くトレーニングに出て、皆が終えて帰った後も黙々と練習をし、最後に帰って来るのだが、帰って来たのが分からない程、静かだったそうなんだよ。」
U「スキーの練習から帰って来たとなれば、板は長くて重いわ、ブーツはゴツゴツして重いわ、ストックはバラバラになるわ、グッタリと疲れているわで……、ガチャガチャゴトゴトと騒がしい事、この上ないものな。」
A「ステンマルクは、ジンブレイドを持っていたんだよな。」
私「そうだ。」
M「これは、凄い話だ。」
K「スキーの板をコトリともさせない静穏・精微さと、雪山を風のごとく駆け抜ける端然・颯爽は、いずれもジンブレイドのなせる業だったのかも知れない……。」
U「このディレクターが、今日の社会では消滅して久しく、稀に持つことのできた個人は、天才・名人・達人として扱われるわけか……。」
M「今日世界的、人類的最重要の課題である環境・資源・人口問題も、この話からすれば、個人個人のディレクト・システムが良いものに変化しない限りは、決して解決の方向に向かわない、ということになるな。」
A「そのディレクト・システムの鍵が、ジンブレイドであるということだな。」
U「しかし、イチローが地球環境問題を解く“鍵”だったとはなあ……。」
A「やっぱりイチローは、天才だろう。」
U「いや、江戸時代にはいくらでもゴロゴロいた存在なのだから、そうは思わない。だがしかし、やはり“神の子”であることは確かだろうな。」
K「地球の行く末を案じた天の使い、ということか。」
私「イチロー、武豊、羽生善治……とくると、稀なはずのジンブレイドの担い手が突然揃いも揃って出現したという事に、やはり大きな時代の変化の兆〔きざし〕を見なければならないのかも知れないな。」》(『意識のかたち―現代に甦る天才の秘密』、p.63~66)

※5 時代の転換期には、社会観、倫理観、人生観に対する爆発的な需要が発生します。言語学者・社会評論家の三浦つとむ(みうら つとむ、1911~1989年)は、第二次世界大戦敗戦後の日本における哲学ブームについて、次のように考察しています。
《人間の生きる目的は何かとか、人生をいかに生きるべきかとか、大きな目的意識や大きな生活態度について自覚しなくても、日常生活をすすめていくことはできる。しかしこれらを自覚して正しい目的を確立し正しい生活態度を打ちたてていないかぎり、日常生活の目的や行動の正しい位置づけや一貫した価値判断は生れてこないし、困難や障害をのりこえて目的をつらぬこうとする情熱や強固な観念的原動力をつくりだすこともむずかしい。徹底した教育によって正しいものと信じこんでいたこれまでの目的意識や価値判断が、敗戦によって一挙にあやまっていたと知らされたときの日本人は、それに代るものを求め精神構造の空洞を埋めようとして、哲学へ走った。哲学書に対する爆発的な要求が起って、専門家にすら難解と定評のある西田哲学の書物がベストセラーになり、またスターリンの弁証法的唯物論と史的唯物論のパンフレットや哲学教科書や解説書などがとぶように売れて、進歩的な出版社を大いにうるおしたのであった。
〔中略〕
 大衆は、哲学的教養を身につけるために哲学書を要求したのでもなければ、小哲学者になろうとして哲学書を求めたのでもなかった。大衆は新しい時代における人生の指針を求め、人間として正しく生きるためのよりどころを求めたのである。哲学書を人生論として読もうとしたのである。人生論ときくと、知識人は冷笑する。たしかに、人生論と名のって書店に売られているものの大部分は、観念論哲学者や評論家や文学者の手になる評論や随筆で、社会科学的な分析に堪えられないひよわいものでしかないけれども、だからといって人生論は有効性がないとか社会科学になりえないとかいうことにはならない。むしろ反対に、社会科学を正しくふまえた具体的な人生論が建設され大衆化されていないからこそ、これらのひよわい随筆的人生論が美文の魅力によって大衆をとらえるのである。》(三浦つとむ『指導者の理論』1960年、勁草書房、p.22~24)

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